『生い立ち』
『過去の失敗』
『挫折・苦悩』、、
これを人に見せるって
とても恥ずかしくないですか?
今までは自己開示が
苦手だったりもしたのですが、
今回は
私、内園の人生観や生い立ち
恥ずかしい失敗、チャレンジなど
すべてをさらけ出した内容に
なっております。
★私がなぜ今の活動をしているのか
★私の生い立ちと人生観
★どんな想いでボイストレーナーとして独立したのか
★これからのビジョン、展望
について熱く語ります。
『内園明希』がどんな人間なのか
よくわかります(笑)
これからお話しするのは
「見る角度を変えれば、目標は叶えられる」というお話です。
私が歌人生を諦めかけた時に、
恩師に言われて助けられた言葉です。
私は福岡県の端っこにある
北九州市門司区という所で生まれました。
現在はシンガーとしての活動と、ボイストレーナーとしての活動を両立しております。
私自身、今でこそ累計300名以上の生徒様に発声の専門家として
指導させていただく傍ら
シンガーとしても全国からレコーディング依頼をいただいたり
年間50本ほどのライブ活動や、
ラジオパーソナリティ、司会業などもさせていただいていますが
実は
初めからこうだったわけではありませんでした。

私は
主に10代〜70代の高い志しを持った
幅広い世代の生徒様の
歌唱力UPのお手伝いをさせて
いただいております。
そして
生徒様の歌唱力が上がり
生徒様がご自身のトレーナーになれる!
というのを目標に
歌うための体作りを日々追求し続けています。
日本人に適した
最先端のボイストレーニング手法を実践して
目標をしっかりと達成し、
ゆくゆくは『理想の歌唱スタイル』
まで実現していけるノウハウを提供しています。
youtubeやボイトレ本の中では
おそらくどこを探しても出てこない内容ですので、
こちらでしか学ぶことができません。
ボイストレーナーになって10年という時間をかけて
がんばってつくりました。笑
でも本当は
私は先生にはなりたくなかったんです。

物心がついた頃、
だいたい5歳ぐらいですかね。
良くテレビで観ていたアイドルの、
「中森明菜」さんに物凄くあこがれていました。
「絶対に歌手になる!」
いつもそうなれると信じて疑いませんでした。
私が幼い頃は、なかなか地方で
オーディションがあることなど珍しく、
そういう存在すら知らなかったんですが、
小学校5年生の頃ふと
6個年上の姉が毎月のように買っていた
「明星(みょうじょう)」という本を見たら、
【福岡地区オーディション開催!】
って、歌本の裏に書かれてて
「お母さん!これ受けるっ!」
って、1時間以上かかる福岡市博多区にある会場に
連れていってもらったのが、初オーディション体験でした。
とにかくやりたい!と思ったことは
やってみないと気が済まない性格は
この頃から今も変わっていません(^-^;
オーディションの
結果はというと、、、
【福岡大会も通りませんでした。】
今考えると、当然ですが、
当時は受かるかも?って
本当に思ってたんですね(^-^;
オーディションが全て終了した後に、
決められていた番号が呼ばれるんですけど
見事に飛ばされて
物凄くショックだったことを
今でも鮮明に覚えています。
そして、その後も黙々と
毎日「中森明菜」さんの歌を
自分なりに研究し、歌い続けました。
しかし、この方の歌
とにかく低音が低い(^-^;
小学生の私には到底出せる低音では
ありませんでしたが
とにかく毎日その低音を出したくて
どんな風に出してるのか知りたくて
テープがのびのびになるくらい聴いていました。
小学校6年生になり、アイドルばかりが好きだった私も
姉の「明星」の影響もあり、バンドブームも手伝って
「ユニコーン」や「リンドバーグ」というバンドに
ドハマリ!
しかし、今度はリンドバーグの高音に悩まされます。
中学校生活も毎日好きなバンドの歌を聴いたり
歌番組を見たり、
お笑いも好きでしたが(笑)
家が山の上の方で、ご近所さんも仲良しだったこともあり
とにかく毎日大声を出して歌っていました(笑)
しかし
今考えるとご近所さんは首を絞められたような
高音域を聴かせられて迷惑してたかも知れません(^-^;
そんなこんなな私でしたが、
中学校生活はほぼイジメられて
過ぎていきました。
トイレに閉じ込められたり
首絞められたり
笑えないですが(^-^;
でも、家に帰ったら大好きな歌が待っていて
歌ってるときはそんな日常も
すっかり忘れて没頭できる
歌は私にとってかけがえのないものになっていました。
そして、中学3年生のとき、
私は
「高校生になったら絶対にバンドを組む!」
と心に決めます。
なんの自信か分かりませんが(^-^;
絶対に組めると思っていました。
そして、高校入学後すぐに、
当時、YAMAHAに設置されていたバンド募集の掲示板に
「当方ボーカル 全パート募集! リンドバーグコピー希望!」
と、わがまま放題の内容で募集します(笑)
ですが、それが、、、
集まってくれるものですね!
ほんとに奇跡だったと思いますが、パート被らず
ほんとにそれそれのパートでお一人ずつ連絡をもらい、
すぐにリンドバーグのコピーバンドは練習をスタートします!
これにより、私の歌に対する情熱が
更にヒートアップしていきました。
学校では相変わらずイジメられてましたが、
そんなことはどうでもいいくらい
歌にのめり込んでましたね(笑)
歌に留まらず、エレキギター、ベース、ドラム、
キーボード、いろんなことに挑戦し、
このころからこっそり
作詞作曲をするようになっていました。
「高校を卒業したら働く。」
オーディションを受けるのに、交通費など
お金がかかっていた時代だったので、
とにかく働いて、メチャメチャオーディションを
受けまくろうと決めていました。
なので、卒業後はすぐにOLとして働きながら、
バンドはオリジナル曲を中心に演奏するバンド〜
洋楽を中心にえんするバンドへと移り変わり、
充実した生活を送っていましたが、
あるカラオケボックス主催のオーディションを受け
そのオーディションにで「研究生」的なもので合格し、
博多で歌のレッスンを初めてうけるようになります。
この恩師に出会えたことが今考えると
私の人生のターニングポイントだったと思います。
恩師と出会ってボイトレをはじめて
その事務所主催のオーディションを
受けては落ちるを繰り返すうちに、
あれだけ自信満々で歌ってた自分も
「あぁ。歌っていうのは歌が人並みよりちょっと上手いぐらいじゃダメなんだな、、、」
ということにようやく気がつきます。
恩師の言葉で言うなら、
「歌唱力はどんぐりの背くらべ。いかに個性を出せるか?プラスアルファがあるか!」
うーん、当時の私には難しくて理解出来ませんでした。
せいぜい、
「要するに顔が可愛くないといけないってことね、」
くらいに思ってしまっていました。
バンド活動は続けながらも、
バンドのリーダーにことごとく
「声量がない!抑揚がない!」
と言われ続け、
「このまま歌を続けていても歌手にはなれないだろうな。」
と、ぼんやり考えるようになっていました。
25歳になり、当時はオーディションで募集されてる
ギリギリの年齢になり、切羽詰まっていた私に
恩師は
「うっちゃん、先生にならんね?」
と言いました。
正直、歌を諦めようという思いも手伝って
正直カチンときましたが、
その言葉で、
「私はまだ歌いたい!まだあきらめたくないんだ!」
と、心が激しく動きました。
首を横にふった私に
恩師は続けて、こんなことを言ったんです!
「25歳っち、オーディションでは難しいけと、
CD出すのが夢っちゃろ?
なら、何からでもCDは出せる!
タレントからでも女優からでも!
見る角度を変えれば、目標は叶えられるよ!」
それは、
頭をハンマーで殴られた位の衝撃でした!

それから私はいろんな歌手とは違うオーディションを
探しました。
そして、すぐに見つかったのは、なんと、
福岡吉本興業のオーディション。
お笑い好きのお友達と受けて、
なんと見事合格(笑)
そして、何故かそこからお笑いの道を極めるようになるのですが、
ここから、私のどん底人生がスタートしてしまいます。
この時まだ福岡吉本では学校は無く、
合格した翌日から舞台袖から
先輩方の舞台を見学したり、
舞台に立つためのオーディションを受け
それに合格すればすぐに舞台に立てていました!
勿論みなさん、ご存知の通り
ギャラは1分ネタで、1舞台100円。
よって、とにかく空いた時間はバイト。
2つのバイトを掛け持ちしながら、
先輩の舞台の勉強のため、劇場に通い詰める日々。
朝は6:30からバイトに出かけ、
明け方4:00帰宅なんて日常茶飯事でした。
ですから、毎日出来ていた歌の練習は
日に日にほとんど出来なくなり、
週に一度のバンド練習に通うのが精一杯の状態でした。
そんな生活を、3年間続けてお笑いの世界にドップリと
浸かって来ましたが
ふと
「あれ?私ってどうなりたいんだっけ?」
と思ったとき、すでに28歳。
お金も底をついて
借金をして続けるか?の選択で、
やむなく事務所を退所しました。
そんな経歴も手伝ってか、
退所後は、いろんなところから
お歌の仕事の声をかけていただけるようになり
地元のご当地グルメを歌った歌で、
なんとCDデビューすることが出来ました!
そして、その後は
ニコニコ動画再生回数200万回再生されるほどに!
そういったバンド以外の活動が気に入らなかった
バンドのリーダーは、
私に辛く当たるようになりました。
メンバーみんなが私を良く思っていないと
罵倒され、
他の活動を非難されました。
「お前の主の活動はなんか?!バンドが一番大事やろーが!」
でも、私はバンド活動だけで終わりたい人生ではなく
「やってみたいことは、とことんやってみないと気が済まない」
ので、
その時は、何故そういうことを言われるのかが
分かりませんでした。
レコーディングすることで、私の歌にギャラが発生し、
ファンの方々が喜んでくれる!
歌うことの幸せを噛み締めている活動を
辞めることはできませんでした。
でも、バンド活動も好きで、
どちらを取るなんて決められませんでした。
次第にバンドの人たちが全員敵に見えるようになり、
思うように声が出せなくなりました。
1フレーズさえまともに歌えなくなってしまったのです。
バンド練習の前の日は
涙が出てきて止まりませんでした。
それでも意地になってバンド練習に
行き、モヤモヤで胸がいっぱいになりながら
咳込みながらも歌を歌い続けていました。
「こんなに苦しいなら、もう歌うのをやめようかな、、、」
人生ではじめて
【もう歌を歌いたくないと思った瞬間でした。】
次第に夜になると毎日涙が溢れて
嗚咽をあげる毎日。
見兼ねた家族が私に投げかけた言葉は
自分では思いもよらないものでした。
「どんな活動も生き生きと楽しそうだから
協力もするし、行かせてあげたいと思うけど、
そんな辛いの見るのは嫌だし、
そんな場所には行かせたくない。」
そうか、私は何のために歌ってる?
私が歌って幸せと感じるから
それを聴いたみんなも幸せを感じてくれる。
辛いと思って歌ってる歌は、辛いのかしっかりと伝わよね。。。
この時、私には沢山のファンの方がいて
毎回レコーディングディレクションしてくれる方々は
1フレーズもまともに歌えない私を
励ましながら、少しずつよいところを切り貼りして
作品にしてくれていました。
そんな作品でも、ファンの方々は沢山聴いてくださり
暖かい言葉をなげかけてくださいました。
「このままではいけない!本当の私の歌を歌いたい!幸せを伝えたい!」
そんな思いが溢れ、十数年お世話になったバンドを、
引退させてもらいました。
バンド活動に終止符を打ち、
やっと歌声を少しずつ取り戻せた私に、
このあと、
ボイストレーナーになるという新たなチャンスが訪れます。
はじめは単純に、バイト探しをしていた求人誌に某音楽スクールのボーカル講師募集というのを見つけ、
駄目元で受けたのがきっかけでした。
駄目元だったにも関わらず、結果は合格。
トレーナーなど未経験の状態から
明日から早速生徒さんを教えてくださいという状態に(^-^;
この時期も、どうしたらいいのかほぼわからず、
とにかく自分がやっていたボイトレを生徒さんに教えていくスタイルでした。
この時の私ははっきり言って
ただの「クズ講師」でした。
生徒さんが出している声が何故出しにくそうに出してるのか?
声がひっくり返る生徒さんを目の当たりにして、
それがどうしてか、また、どうトレーニングしたらよいか?
自分は幼少のころからひっくり返るということがなかったので、
全く経験がなく、解決策が全く分かりませんでした。
そんなとき、妊娠が発覚し、生徒さんを教えるストレスから解放されます。
生徒さんもそんな「クズ講師」から教わる時間が少なく済んで良かったと
今では真剣に思います。
自身のソロ1stアルバムは悪阻の真っ只中の収録となりました(^-^;
でも、不思議と心のストレスがなく、穏やかな気持ちで、
レコーディングの最中だけ何故か悪阻の気持ち悪さが消え、
終始幸せな気持ちでレコーディングをしていたことを
今でも鮮明に覚えています。
そして、またまたここで壁にぶち当たるのですが、、、
人生初の出産は、思わぬ難産でした。
それにより、出産後立ち上がれない状態にまでなりましたが、
結局原因はわからないまま、立ち上がれるようになったタイミングで退院。
家に帰ってからも、歩くと内蔵が下から出てきそうな感じがして、
歩くとすぐに息切れをしてしまうほどでした。
子育て中は歌の練習はほとんど出来なかったのですが、
レコーディング期限は毎回待ったをかけられないため、
必死に歌を覚えて挑んでいましたが、
ここで、前回のストレスよりも更に厳しい音程のズレが発生しはじめます。
高音がとにかく出なくなってしまったのです。
歌っているときは、自分が音をはずしていることすら気付けない程
必死でした。
ある日、自分の最高音が入った歌を歌ってみた時、
人生初の衝撃!
「え?この声が出ない、、、」
今まで出ていた最高音が見事に出なくなっていました。
悔しくて泣きながら何度も挑戦しましたが、出ません。
これはいけない!と、
昔恩師に習ったていたころのボイトレをやってみようと、
キーボードを引っ張り出して、
その時のスケール練習をひたすら続けました。
結果は、
【何も変わりませんでした。】
それは、そうですよね?
そのスケール練習をなんのためにやってるのかすら
知らなかったのですから、、、
そんな中、体力の限界を感じるようになり、
初めは歌とは別の意味で、体力回復のために、
母親が通っていた健康筋トレ運動をやっているところに
会員登録し、毎日母と筋トレに励みました。
年齢層は60代から上の方々ばかり、
でもそのくらいからはじめなければダメなくらい
私の筋肉は緩んでいたのだと思います。
3ヶ月ほど通っていいると次第に歩いても
内蔵が下から出てきそうな気がするのはなくなってきました。
そして、何より変わったのは
【歌でした!】
はっきりとわかるほどに
高音が出るようになってきたのです。
それでもまだ自分のその時の最高音には達しませんが
明らかに楽に声が出るようになり、
レコーディング時、音程を外すことも少なくなって来ました。
ここから、私は本気で
【歌う身体について】すごく興味を持つようになりました。
歌には絶対に筋肉が関係している!
そのことだけを実体験で確信した私は、
それから猛勉強しました!
まずは、歌う筋肉についての論文を読みあさったり、
○十万するようなボイトレのセミナーや、資料での知識を買いあさりました。
そして、そのころボイストレーナーとして復帰し、
生徒さんの声を聴いては、
どのようにしてその声が出ているのかを研究しました。
このころは
悪い声のお手本を練習しすぎて、
喉ががらがらになることも多かったですね(笑)
そして、自分がはじめて
悪い声の出し方を覚えたことで、
良い声の出し方が鮮明に分かるようになり、
更には、生徒さんの歌声を聴いただけで
どの筋肉の動きが悪いのか?
どの部分を手直ししたら良いのかをすぐに
生徒さんに伝えることができるようになり、
自分が担当の生徒さん達も
声が出るようになったと、笑顔で帰られるようになりました。
歌うための筋肉や身体の使い方だけに留まらず
まだまだ歌の世界は深いので、
日々勉強中ではありますが、
私は歌を教えることにもとても大きなやり甲斐や幸せを感じるようになったのです。
自身の活動もそこからは、
順調に上がり、
CD作品200曲以上ボーカル収録。
福岡、東京でのワンマンライブも成功させ、
更には中国上海でのライブも行うことができました!
ボイストレーナーの方では、
自分の生徒さんへの思いとスクールの意向が合わず
2019年に独立。
アメリカ式ボイトレメゾットを日本人に合うものに微調整し、
身体の使い方だけではないマインドの部分、
心に響く、魂揺さぶる歌声、個性をしっかりと残しながらのボイトレメゾットを
10年かけて作り上げました。
また、整体師の方との共同で、歪んだ身体を調整し、
【心も身体も歌も健康になる!】
をテーマに、また新しいメゾットを現在研究中です。
・頭から声を出してー!
というような、その講師によるイメージだけをおつたえするレッスン
・スケール練習を繰り返し、何故それを行うのか?も分からず、
その場では何となく声が出ても、お家に帰って出してみたら出ない。
どのように出したのか再現できない
・明確なポイントを教えてくれない
上記は、【クズ講師】時代の私です。
しかし、今ボイストレーナーと語る方の中にも、
残念ながら、上記のような方々が
実はゴロゴロいるのが日本のボイトレ業界事情だったりします。
私のノウハウを使用したメゾットは、
ネットなどには出回っていない情報や、再現性がの高い
メゾットをその方のレベルと生活環境に合わせた方法で
レッスンを提供します。
そして、
生徒様にノウハウを提供するだけでなく
生徒様と一緒に
ジョイントできたり、
一緒にコラボやお仕事ができるような
チームワークを作っていく
というビジョンもあります!

皆さんも、もし独学に限界を感じていたり、
今、どこかにつまずいているのであれば、
【見る角度を少し変えてみませんか?】
最終的な目標は同じでも、道のりによっては遠回りだったり
近道であることも?
立ちはだかる壁の高さが全く違うこともあるんです。
私の長い話がやっと終わります。(^-^;
ーーー
僕は小さい頃から
やりたい!と思ったことはやってみないと気が済まない性格でした。
行動に移すことは出来てもなかなか目標を達成出来ず、
親には良く呆れられていましたが、、、
恩師の
「見る角度を変えれば、目標は叶えられる!」
という言葉を身をもって体験したことで、
歌は、才能でも、遺伝でもなく、
自分を信じる!
広い視野を持つ。
その気持ちさえあれば、
誰でも人を感動させ、涙させるほどの歌を歌えるようになると
断言できます!
そして、最後にもう一つ。
私の大事にしている言葉があります。
「一期一会」
これから先出会う人一人一人が、
もしかしたらこれからのあなたの人生を
大きく変える人かもしれません。
一生のパートナーになる人かもしれません。
志を高く持っていれば、
そんな志を高く持った人たちがどんどん集まってきます!
あなたが高い志を持っていたから
そんな人たちに巡り会えるんです。
そして、
それが自身のスキルアップや活動にも繋がっていくんです。
きっと、
いつか、
どこかで、
あなたとも繋がれると信じてます。
その時は
お互いに助け合っていきたいと思います。
ということで私もまだまだ
これからもがんばります!

これからも、ぜひ仲良くしてほしいです。
最後まで読んでくださり、
本当にありがとうございました。
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